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こんにちは、にしだしおです。
いつもありがとうございます。

カウンセリングサービスのHPにあります「心理カウンセラーのコラム」に、コラムを書きました。
よろしかったらご覧くださいませ。



大好きな映画『父と暮らせば』について書いています。
広島の原爆によって、大切なものを失ってしまった女性が主人公の物語。

自分の「大好き」について書こうと思ったら、ぜんぜんうまく言葉にできなくて、「大好き」って圧倒的な感情だな~って思いました。
(ますます、うまく言葉にできてませんね 笑)

ある新聞記事


『父と暮らせば』について考えていたら、10年ほど前の8月に読んだ新聞の記事のことを思い出しました。

その記事は、ある被爆者の女性を取り上げていました。
記事もスクラップしていないし、その方のお名前も覚えていない、うろおぼえの記憶なのですが……。

その方は、最近になって自分の被爆体験を語り始めた、という方でした。
小さいときに被爆した彼女は、戦後、中学生になったときにお母さんから「被爆者だってことは絶対に誰にも言わずに黙っていなさい。約束だよ」と言われたそうです。

戦後は被爆者を差別する風潮があったり、被爆者だと知られると結婚が破談になることもよくあったんですね。
彼女は、お母さんが自分のためを思って伝えてくれた忠告を守って、それが正しいのだと思って、ずっと被爆の体験を誰にも語らずに生きてきました。

だけど最近の政治に「戦争のこと、原爆のことが風化している」と感じた彼女は、「このまま私が、身をもって体験した戦争を語らないで良いのだろうか」と悩み始めます。

お母さんとの約束を守り続けるのか?
それとも、いま自分の心が必要だと思う方に進むのか?

彼女がくだした決断は、「母との約束を破ることになるけれど、それでも私は、被爆を語る」というものでした。

原爆を生き残った彼女にとって、その体験を語るということは、地獄の記憶を呼び起こすことだったと思います。
お母さんとの約束は、穏やかに生きていくために過去を封印しつづけてくれるお札のようなものだったのかもしれません。

だけどご自分の体験を語ることを選んだ。
そこには「二度と、誰にも、私とおなじ地獄を味わってほしくない。子どもたちの世代に平和な世界を手渡したい」という願いがあったから。

……そんなことが書かれていた記事だったと記憶しています。

傷を越えて


誰かから傷つけられたと感じたときに、
「私は傷つけられる程度の人間なんだ」
と自分にガッカリし、世界にも絶望して、すっかり誇りを失ってしまうことってあるなと思うんです。

そんなとき、人はどうやってもう一度立ち上がるのか?

『父と暮らせば』の主人公は、自分の中に芽生えた恋がきっかけでした。
新聞記事の女性には、「今を生きる人々に平和な世界を」という思いがありました。

どんなに傷ついても、どれだけこの世界に絶望していても。
「それでももう一度、人とつながりたい。この世界を愛したい」
そう願う心が、私たちを立ち上がらせてくれるのかもしれません。

そうして立ち上がって手を伸ばした先には、一緒に歩いてくれる仲間たちが待っていてくれるのかなとも思います。
だって、この新聞の女性は、沈黙を破って被爆を語り始めたことが記事になって、会ったこともない私にまで届いたんです。
彼女の生き方に打たれ、応援したいと思った人がそれだけ多かったんでしょうね。
そう思うと、また心がふるえてしまいます。

生きていれば、大きな傷、小さな傷、いろんな傷を避けられず抱えてしまうかもしれないけれど。
それでも平和な世界にむけて歩いていきたいなと、特に8月は、あらためて思うのでした。