love-girl
こんにちは、にしだしおです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

カウンセリングの中で、
「周りの人がくれている愛を受け取りましょうね」
というお話をすることがあります。

この「受け取る」って、けっこう難しいんですよ~。
「愛を受け取りましょうね」と言う私ではありますが、すごーく受け取り下手だという自覚があります(^^;

でも、受け取ることができると、自分も周りもハッピーになりやすいんです。

友だちが開いてくれた誕生会が、怖かった!


私のちょうど30才の誕生日に、友人たちがお祝いの計画を立ててくれたことがありました。

10人ぐらいの友人が、1か月も前から準備をしてくれて、私は当日、仕事の後に指定されたお店に行けば良いだけ。

なんてステキな企画なんだ~♪ 私は良い友だちに恵まれて、幸せ者だなぁ、と今の私は思うんですよ。

でも。
実は当時の私は、みんながその誕生会を開いてくれることが、めちゃくちゃ怖くて仕方がなかったんです!

そのときの私は、こんなことを考えていました。
「みんなにお祝いされる場で、私はどうふるまったら良いの!?」
「そんなにいっぱいの愛をもらっちゃったら、 どうお返ししたら良いかわからないよ~」


当日は、夜の誕生会が近づくにつれ、もう怖すぎて大混乱。
イヤだな~参加したくないな~、具合が悪くなったことにしちゃおうかな。
でも私を祝ってくれるのに参加しないのはありえないし……。
うわ~どうしたら良いんだ~!?と、ほとんどパニックでした。

めちゃくちゃビビッてるけど、参加しないわけにはいかない。
追い詰められた私は、
「そうだ、逆の立場で考えてみよう」と思いつきました。
もしも私が、友人の誕生日をお祝いする側の立場だったら?
主役の人には、どんなふうにそこに居てもらいたいかな?

そう考えてみたときに出てきた答えは、
「ただただ、お祝いを受け取って喜んでほしい!」ということでした。

「祝われる側」から世界を眺めたときには、私はきっとみんなから、「感謝の表現が足りないぞ~」とか「後でお返しをくれよ~」って思われてしまうに違いない!と怖がっていたんですね。
でも、「祝う側」に立ってみたら、そんなことは思いつきもしなかったんです。

祝う側、つまり愛を与える側に立って考えてみると、
「みんなでお祝いして楽しく過ごそう♪ それで喜んでもらえたら、私も嬉しい」
って思えることが、同じことを祝われる側、つまり愛を受け取る側で考えると、
「なんのお返しもできないし、受け取るわけにはいかないよ」
って思ってしまうんです。
こんなにも感じ方が真逆になるのか~とビックリしてしまいました。

なぜ、受け取ることが怖いのか


同じようなことは、日常の中にも色々とあると思うんです。
「ステキだね」「かっこいいね」「器用だね」など、誰かから自分の魅力や才能を褒められたときに、
受け取れなくて思わず固まってしまう、とか。
または、「みんなに同じこと言ってんだろうな」「お世辞が上手だな~」ってスルーするときもありますよね。

私たちは、愛を目の前に差し出されたときに、それを喜んで受け取れないことがあるようです。

私たちはみんな「愛してほしい」という思いを持っていますが、同時に、心のもっと深いところには「私はどうせ愛されない」という信念が隠れていることがあるんです。

それって、「私はどうせ愛されない」という眼鏡をかけて世界を眺めているようなものなので、「やっぱり愛されてないわ」と思うことばかりが目についたりします。
そして、「私はどうせ愛されない」という信念をさらに強化してしまう……という不本意な結果を積み重ねてしまうんですね。

もちろん、誰かに愛されていることだってあるはずなんですよ。
でも、「私はどうせ愛されない」眼鏡をかけていると、愛されたという事実は意識できないので、受け取ることができずドブに捨てることになります。
そうすると、「愛してほしい」という願いは満たされないので、「どうして愛してくれないの?」という文句が増えていきます。
怖いですよね~(^^;

そんなときに、「実は愛されていた」ということを受け取ることは、ものすごく勇気が必要なんですね。
なぜなら、愛を受け取ってしまうと「私はどうせ愛されない」という信念と矛盾するので、今までの自分の見方・考え方が間違っていたように感じたり、「じゃあ私は、今まで愛されてたのに文句言ってたのか」と罪悪感がブワーッと噴き出してくることがあるからです。

誰だって「私は間違っていた」「自分が悪い」とは感じたくないわけで、そうすると、「受け取るわけにはいかない!」ということになったりします。
これ、「私はどうせ愛されない」という世界観にしがみついている状態とも言えそうですね。

私が誕生日を祝われてしまうことを怖がったのは、みんなからの祝福を受け取ることで、慣れ親しんだ世界観が壊れてしまうことに不安を感じたからだったのかなと思います。

勇気をだして受け取ってみた!


さて、誕生会ですが。
「ただ受け取れば良いのかもな~」と思えた私は、勇気をだして、指定されたお店に行きました。

そして、みんなが伝えてくれる私の魅力を受け取り、プレゼントを思い切り喜びました。
中には、サプライズで作詞作曲した歌を披露してくれた友だちもいたんですよ!
(ドタキャンしないで、本当に良かった……!)

私は泣きながら友人たちの愛を受け取りましたが、みんなの顔も喜びに輝いて見えました。
自分の中に嬉しい気持ちが大きくふくらんで、それまでの人生で一番ステキな誕生日になりました。

heart-bouquet

「私は人の役に立っている」
「私は誰かにとって喜びである」
と思える感覚のことを、自尊感情といいます。

私たちが誰かの役に立ったり、誰かを喜ばせてあげたとき、すごく嬉しい気持ちになったり自分に自信が持てたりしますよね。

同じように、あなたの家族・パートナー・友人にとっては、あなたに喜んでもらえたときに、自尊感情が満たされて嬉しいと感じたり自信が持てるんです。

大切な誰かがおくってくれる愛を受け取ることは、「あなたは素晴らしい人ですよ」というメッセージになります。

私たちは、自分自身のことをなかなか良いものだとは思えなかったりしますが。
でも、あなたが受け取り上手になることで、あなたが誰かの喜びになることができるんです。

ぜひ、「愛を受け取ってみよう」と意識してみてくださいね。