こんにちは、にしだしおです。
いつもありがとうございます。
torajiro
たとえば私の場合。

人前で話す必要があって原稿をつくるとき。
好きな映画作品のレビューを書こうかなと思うとき。
このブログの原稿を書くとき。

……すべて「書くとき」ですね。
もっと抽象的に言うと、
「なにかを表現しようとするとき」
ということになるでしょうか。

そんなときによく出てくる気持ちがあるんです。

「上手く書きたい」
「みんなから『さすが!すごい!』って感嘆されたい」
「世界が感動に打ち震えるような文章を書きたい、話したい!」


だけど私は作家みたいに巧みに書けるわけじゃないから、
「みんなの心を打つような文章を書く」を目標にすると、
頭が迷路になってしまうことがあります。

結果として「みんなの心を打つような文章」が
書けちゃうときもあるとは思うんです。
だけどそれを最初から目標にすると、
自分の中にはない「誰かにとっての正解」
(それだって、この世にあるのかどうかもわかりません)
を探さないといけない気分になって、
やっぱりムリ~!って心が折れる。

そうすると、「あれ? 書きたいことがなにもない」とか、
「そもそも自分を表現したいとは思わない!」って
急に意欲がなくなることが、私よくあるんです。

人から認められたい気持ち


私たちには、人に褒められたい!という欲求があります。
自分の素晴らしさに気づいてもらいたいし、
その存在に価値があるんだよって認めてもらいたい。
「承認欲求」といいますが、これは誰もが持っています。

でも承認欲求が強くなるときっていうのがあるんですね。
それは私の場合だと、なにかを表現しようとするとき。

いまいち自信が持てないんです。
うまくいくときは良いんだけど、
的外れなことを書いてしまうかもしれないし、
あまりステキなことを言えないかもしれない。
それはそれでも良いはずなのに、
「もっと上手にやって、立派な私って思われたい!」
っていう邪心がいつでも出てくるんです。

自信が持てないから、自分では自分のことを認められない。
だから誰かに認めてもらいたい!という心理。
自分が足りてないと思っている部分を
人に埋めてもらおうとしているようなものですね。

困った感情に、名前をつけて愛でてみた


この邪心が出てきたときに、私がやっていることがあります。

私はこの気持ちに名前をつけました。
その名も「スケベ心」

そして、この「スケベ心」がひょっこり出てきたときには、
いつも「あ~はいはい、また出たね、スケベ心!」
と思うことにしています。
嫌って追い出そうとしても、またすぐ顔をのぞかせるので
排除するのはちょっと難しい。

だから自分の中から追い出そうとするよりも、
この子のことを認めて、私の心の中に居ても良いよって
思うことにしました。

人にたとえると、ちょっと困った親戚のおじさん、
寅さんみたいなイメージですかね(笑)

自分の「スケベ心」を眺めてみると、
色んなバリエーションがあるんですよ。
「努力しないで立派な人だと見られたい」
「人気者になりたい」
「高いクオリティで上手にやりたい」などなどなど。

中でも私が1番お気に入りなのは、
「誰かに、私の中にある粗削りだけど
 キラッと光る才能を見つけてほしい!!」

敏腕プロデューサーとかが、たまたま私のブログに
目を止めて「これは……!」って稲妻を背負ってる感じ。
夫とそんなことを話してると、めっちゃ楽しくなってきます(笑)

今までとなにも変わらず、
「スケベ心」は小さくもならないし消えてもくれません。
でも、「あ~はいはい、またアンタね」って
嫌わないで愛でてあげるようになったら、
この子、大きくもならないんです。
そして心から追い出そうとか、バレないように隠さなきゃとか、
そういうことにエネルギーを使わないので、なんだか気分がラク。

「スケベ心」を好きになる必要はなくて、
とにかく 嫌わない 。
それだけでも、ずいぶんと心は穏やかになるものですね。

「スケベ心」にまた来たの~?と言いつつ、
特に立派でもなんでもない、そのままの自分を
表現していけたら良いなと思います(^^)